相場の理由を探す行為は無駄だと思う

相場の理由を探す行為は無駄だと思う

 

質問箱をしていると、よく

「~の理由で上がったんですか?」

「~が・・・になったのは〇〇が理由ですか?」

みたいな質問が多くやってきます。

確かに、そのふたつ、みっつの要素に因果関係が疑われるものもありますから、そういうときには

「そうかもしれませんね」

とは言えますが、基本的には、

「因果関係なんてもんはわからない」

ものだと思っています。

 

 

もし相場の理由というか、因果関係があるとしたら、

ワンクッション置いた状態・・・つまり、

「こういう因果関係で上がると思った人が多かった」

という、「〇〇と思った人が多かった」

があいだに入るように思います。

単純に現象から結果を求めることは、相場ではないです。たぶん。

なにかとても機械的な表現になったような気がして、

自分にはちょっと賛同しかねる、、、という感じになってしまいます。

相場はもっと、心理戦です。

 

 

 

別に材料とか、ニュースとかに反応しても良いと思います。

むしろ、それらを全く無視するのも機械的すぎて、疑問です。

 

材料やニュースに反応するにしても、ワンクッションおいて

「みんながどう感じるか」

という空気を読むフェイズをいれてみる癖をつけたら

きっともうちょっと材料の選択と

その選択したものの価値の見え方が

変化するんじゃないかなと思います。

 

 

もっというと、

「ニュースなんて無意味だ」

「ファンダメンタルズなんて役に立たない」

と言っている人は、このワンクッションを無視していると思います。

実際、非常に役に立ちますし、

わざわざニュースを無視、ファンダを無視する必要も感じません。

いっぱいニュースみても、ファンダの分析をしても、

それらのどれを選ぶかは勘ですし

そのえらんだニュースやファンダの材料を

どう人々が感じるかを眺めるのも勘です。

 

あとはその勘がどの程度すぐれているか

自分を信じて行動できるか

間違った時にそれを認められるか

という点で、優劣が決まるだけだと思います。

 

なんか書いていてうまく伝わっているか自信がありませんが

 

とりあえず、以上です。