『氏家純一』の尻拭いをひたすら繰り返す野村ホールディングス現経営陣たち
『氏家純一』氏の時代からの決別を急ぐ野村HD経営陣たち
野村ホールディングスが国内店舗の2割を削減するということです。
また同社は、先にインスティネットの減損も行いました。
リーマンブラザーズから引き継いだ海外事業も大幅にリストラしています。
これらはすべて『氏家純一』氏の時代からの決別を意味します。
『氏家純一』氏とは何者か?
ここで、野村証券・野村ホールディングスの社長・会長を歴任した『氏家純一』氏についてみていきます。
経歴は以下のようなものになります。
1945年生まれ
1969年東京大学経済学部卒業
1972年イリノイ大学大学院修士課程修了
1975年シカゴ大学大学院博士課程修了
1975年野村證券株式会社入社
1989年ノムラ・セキュリティーズ・インターナショナル(米国野村)社長
1997年野村證券株式会社取締役社長に就任
2001年野村ホールディングス株式会社取締役社長
2003年同社取締役会長
2011年同社常任顧問
2015年同社名誉顧問就任
素晴らしい経歴です。
特に野村證券入社後に留学したのではなく、社費留学ではなく、自分の家庭の支援で出たあたりにお育ちの良さが感じられます。
なお、氏家純一氏は日テレのもと会長・氏家 齊一郎の親戚筋にあたります。
お育ちの良さが窺えます。
大事なことなので2度言いました。
『氏家純一』氏、社長の総会屋事件のおかげで社長の椅子が転がり込んでくる
で、まぁそんな家柄の良い『氏家純一』氏ですが、先代までの有力者が野村証券総会屋事件(97年)に連座してゴッソリと抜けたことで、社長の椅子が回ってきます。
もともと経済学をしていた方で、経営学をしている方じゃありません。
だから、社長になった時には正直「だいじょうぶかなぁ?」と思ったものです。
・・・ええ、実際、ダメでした…
『氏家純一』氏は経営者としての能力はなかったと思います。。
そして、『氏家純一』氏が会長に退いた2003年、後任に就けた古賀信行氏もまた、MOF担あがりの法務部出のエリートでした。
学者とエリート官僚のコンビです・・・どういう経営になるか、だいたいわかろうものです。
『氏家純一』氏はネット証券を舐めていた~ジョインベスト証券
実際のところ、2000年当時から野村證券の足元は揺らいでいました。
松井証券が風穴を開けたネット証券時代の幕開けは、その後DLJ証券(現・楽天証券)やSBI証券など、ネット証券がガンガン設立されて顧客の奪い合いが始まっていきました。
しかしそうしたなかで野村證券は、漫然とほとんど何もせず、旧態依然とした対面型営業を続けます。
そして、2000年代も半ばになり、顧客管理に頭打ち感が出てきたころ、ようやく『氏家純一』氏たちも問題に気付きます。
自社のネット投資システムを稼働させます。
野村証券傘下のネット証券はジョインベスト証券とかいう名前だったのですが、お世辞にもいいシステムとは言えないものでした。
トラブルも相次ぎ、約定通知も遅い。
しかもコストはアホみたいに高い。
システムトラブルで発生した損失を顧客負担にしようとして金融庁から指導されたこともありました。
あまりの酷さにネット上ではネタにされまくり
女陰best証券
などと揶揄されるありさまでした。
結局、野村証券は格安ネット証券業務を諦めることにし、対面と大差ないレートでの売買手数料料金をとるシステムのみ残すことにします。
『氏家純一』氏の主導で始められた、野村一兆円ファンド/ノムラ日本株戦略ファンド
『氏家純一』氏といえば、野村一兆円ファンドでしょう。
まさに『氏家純一』氏が社長職だった2000年2月に募集されたファンドで、野村證券創立100周年を記念するファンドでした。
当時はITバブルの真っただ中です。
そのスッ高値で、1兆円を集めて運用開始されたファンドです・・・その後、どうなったか予想できますね。
野村証券の顧客は、このファンドのせいでだいぶ損をしました。
そして、顧客が損をするということは、それだけ野村の預かり資産が減るということであり、それは長期的に見れば、野村證券のリテールの稼ぎが減るということです。
実際、野村證券のリテールはじり貧に向かいます。
『氏家純一』氏はリテール拡大策のため人員を増やした
『氏家純一』氏は、個人投資家がネット証券を利用するようになっていることを舐めていたのではないかと思います。
どうせ個人はろくに情報を持っていない、レポートを充実させれば野村證券の高い対面手数料でも納得するはず、と思っていたのではないか・・・
(しかしご覧の通り、現在では個人投資家は統計をガンガン読み込んでトレーディングしています。『氏家純一』氏は間違ったのです)
『氏家純一』氏は、国内リテールのことなんて何もわかってなかったんだと思います。
入社すぐからずっと、リテール畑なんて触ったこともなかったはずです。
海外勤務が中心で、顧客層の変化をみていなかったはずです。
『氏家純一』氏は顧客の能力を舐めていたのではないでしょうか。
あと10年もしたらいなくなるだろう年寄りの顧客と、これからの時代を生きる若い顧客を同じ人種だと思って扱っていました。
年寄り向けに通用したマーケティングやリテールの戦略が、若い人たちにも通用すると思い込んでいました。
結果として、『氏家純一』氏と古賀信行氏のコンビは、リテール重視の方針として、人員の大量採用に踏み切ります。
それが現在の利益創出能力の低下につながっているのは、間違いありません。
現在の野村證券の経営陣は、必死にリストラを進めている最中ですが、それは10年ちょっと前に、『氏家純一』氏と古賀信行氏のコンビで進めた経営の修正作業ということになります。
『氏家純一』氏と渡部賢一氏はリーマンブラザーズも買収
古賀信行氏は2007年に社長職を渡辺賢一氏に譲ります。
渡辺賢一氏は法曹畑を歩んだエリートです。
『氏家純一』会長と渡部賢一社長のコンビは、2008年の金融危機後、その震源地にあったリーマンブラザーズの海外事業を買収しました。
腐っても鯛だとおもったんでしょうか。
実際のところ、リーマンの事業は業績的には全く魅力的なものがなく、野村はこの10年で欧州事業だけで8000億円弱の赤字を垂れ流しています。
『氏家純一』氏はいったいどんなつもりでリーマンを買収したのか。
素朴に疑問です。
『氏家純一』氏はインスティネットでも赤字
もういちいち書き出すのも怠いのですが、『氏家純一』氏が会長だった時代に買収したインスティネットも、のちに大規模な減損処理を必要とされます。
当初見積もった過大な利益はあげられそうにないのです。
ぶっちゃけ、この人の経営で上手く行ったことはアメリカ市場上場くらいでしょうか。
それすら、後述する内容をまねくことになります。
『氏家純一』時代の野村證券、RMBSの不正販売で巨額の利益をあげるも、その後は訴えられれて巨額損失・・・
『氏家純一』時代の野村證券ですが、住宅ローン担保証券RMBSをアメリカで販売しまくります。
09年当時、これが海外事業の稼ぎの源泉でした。
たいした価値がないものをいっぱいつめこんで、高値で顧客の金融機関などに売りつけました。
これがのちに、巨額賠償請求につながり、また米司法省からもお叱りにあうことになります。
『氏家純一』時代の清算を急ぐ現在の野村HD経営陣
とりあえず、『氏家純一』の失敗はまだまだあるのですが・・・書ききれないのでやめておきましょう。
現在、野村HDの経営陣は『氏家純一』時代の清算活動をガンガン行っています。
RMBS関連で司法省と和解、リーマン欧州のリストラを継続、国内リテール再編、店舗削減、インスティネット減損・・・
でもいくらやっても、なかなか赤字が減りません。
お疲れ様です。
ちなみに、当の『氏家純一』氏は現在は東京女子大の理事長をされているほか、株式会社ナウキャスト戦略顧問なども務めています。
いったいどんな戦略を練るのかわかりませんが。
なお、『氏家純一』氏ですが、旭日大綬章を叙勲されています。
国の評価なんてそんなもんです。
とりあえず、97年の野村証券内部ではコンプライアンス上で一番マトモな人選だったのでしょうが、それと経営能力が高いか低いかは別です。
決して悪い人じゃないんでしょうが、優秀ではない。
これはSDGsだとかESG投資なんかにも繋がることだと思います。
そこらへんのところが高いレベルでバランスした人材が、これからは必要なんだと思います。
以上。