ウィズコロナを目的化する小池都知事と日本政府
ウィズコロナを念仏のように小池百合子
やはりこの人はカタカナ英語がお好きなようだ。
ここもと記者会見を開くたびに
「新型コロナウイルスと共に生きていくウィズコロナの新しいステージに入ったと認識していただきたい」
「この戦いに打ち勝たねば、これからのウィズコロナ、ポストコロナの東京を描ききれない。」
などと「ウィズコロナ」を繰り返している。
ウィズコロナという語感が好きなんだろう。
「東京アラート」だとか、「ロックダウン(都市封鎖)」、「オーバーシュート(感染爆発)」、「クラスター(集団感染)」「ソーシャルディスタンス(社会的距離)」「都民ファースト」なんかにしてもそうだが、この人は基本、カタカナ英語を好む。
別にそれはそれで構わないのだけれど、問題はカタカナ英語の語の定義が曖昧なこと。
さらにいえば、目的と結果を巧妙に入れ替えることにも繋がってしまっていることも問題じゃないかと思う。
「ウィズコロナ」は結果であり、目指す姿ではないはず
小池都知事はウィズコロナの患者が存在することを前提に経済活動を見据えている。
新型コロナウイルスの特性上、新規感染者をゼロにすることは難しそうだし、そこそこの数字で経済を回すことには国民の多くが賛成するだろう。
しかしここで問題になるのは、程度の問題。
どの程度まで許容するのかという話。
そもそも論として、ウィズコロナは仕方なく受け入れる結果であり、目的とするものではないのではないか。
「カネを得るためにはウィズコロナが必要なんだから、命はちょっと犠牲になってもらう」
という主張は、マキャベリズムを気取った厨二病患者ならいざしらず、いい歳した大人が堂々と主張するものではない。
少なくともシニョリーア制でない日本社会でそれを言ったら政治が回らないはずだ。
(現在の日本は、自民党内の共和制みたいなものであり、まだ僭主の存在までには至っていないはずだ。ややなりかけているきらいはあるけれど。)
ウィズコロナ政策とは、宇宙人やゾンビや移民との共存を受け入れる政策とおなじ
端的に言えば、ウィズコロナとは、カネのために新型コロナウイルスとの同居を受け入れる政策だ。
宇宙人が地球侵略を開始したら、諦めて宇宙人と同居を始めるようなやり方。
ゾンビウイルスがやってきたら、諦めてゾンビウイルス感染を受け入れるやり方。
移民がやってきたら、諦めて(?)移民を受け入れるやり方。
カネのためなら宇宙人でもゾンビでも移民でも受け入れる・・・そういう政策だろう。
日本政府はカネのために移民を受け入れる方針であるから、そう考えると首尾一貫した思想が根底にあるのはわかる。
「上級国民の懐を潤わすためには経済規模を拡大することが最優先で、下々の者の命はその素材でしかない。」
「社会的混乱があったとしても、それが政権転覆などに繋がらない限りは許容範囲」
という思想が透けて見える。
ウィズコロナ政策を都民・国民は耐えられるのか?
ウィズコロナ政策が成功するか否かは、ウィズコロナによる社会的混乱が許容できるか範囲になるか否かが重要だと思う。
ここで問題になるのは、為政者側と下々の者とのコミュニケーションが足りているかどうか。
小池都知事、そして政府がどの程度のコロナ感染者数まで許容しているのか、下々の民にはサッパリみえない状況になっていることが最大の問題だろう。
為政者が細かい数値を示さず、「ウィズコロナ」を念仏のように唱えながら、天井しらずで新規感染者数が伸びていく・・・それが都民、国民の不安を煽る展開になっている。
もちろん、このままでは病床数は足りなくなることが必至であるし、高齢者、医療関係者などに多大な負担が及ぶことが十分にわかっている。
被害を被る当事者たちは猶更よくわかっている。
高齢者と医療関係者の票は、都市部だけでなく地方でも非常に重要だ。
一度は新規感染の撲滅に道筋がついていたわけで、国民には
「やればできる」
という意識が芽生えている。
その状況下で小池都知事が
「ウィズコロナなんだから感染拡大してもしかたない」
と念仏のように唱えても、多くの人は納得しない可能性が高いのではないか、と思う。
実際、ネット上のアンケート結果などをみると8割方が再度の行動規制支持のようだ。
調査結果の精度の問題はあるだろうが、今後の世論調査でも同様の数字が出てくることは十分に想定される。
「野党が弱いから、下々の者の不満は無視してもいい」
という判断をしているのかもしれないが、さすがにどうだろうか。
死人が続出すれば、それは長期的に自民党の政権基盤を揺るがすことになる。
というよりも、自民党内の安倍首相後継問題にも影響していく可能性が高い。
早晩、政治もウィズコロナ政策の撤回受け入れざるをえなくなるんじゃないかと思う。
結局受け入れるなら、早い方がいいはずだが・・・。