森元首相の女性差別発言は本当に差別的なのか?全文をもとに考える
森元首相の女性差別発言・全文について考える
森元首相がまた舌禍を招いています。
全文はスポニチを参考にしています。
いかがでしょうか?
なるほど、いつもの森元首相ですね。
言質をとられないように言いまわそうとしているのに、話しているうちに興がのってきてヤラかしてしまう。
憎めないところがあります(笑)
とりあえず、自分は理屈的には大して問題がないと思います。
なぜか?
書いていきます。
森元首相の発言全文を女性差別的と批判する人々の主張に潜む危険性
森元首相の発言を女性差別的と批判する人達の意見をみていると、概ね以下のようなものが多いと思います。
1.女性をバカにするな!(発言はちゃんとみてないけど・・・差別なんだよね?)
2.女性らしさについて語るな!女性をカテゴライズしてみるな!十把一絡げにしてみるな!女性は一人一人皆ちがう!
1に関しては、いわゆる意識低い系が多いと思います。
「みんなが森元首相の発言を差別だというから、差別なんだよね?アタシも許せない!」
そんなノリでワーワー騒いでいる連中が少なからずいると思います。
2に関しては、いわゆる意識高い系が多いようにみえます。
どっかの女子大でウーマンリブの生き残りみたいな年増教授の薫陶を受けて感化されちゃった人が混ざっている・・・感じがあります。
自分としては、特に2が危険だと思っています。
それは、理屈が通っていないのに、通っていると勘違いしているから。
そもそも、女性をカテゴライズしてみないのなら、取締役に女性を増やせだとか、政治家に女性を増やせという必要もないんです。
これらは「女性らしさ」を経営判断に活かすためだとか、「女性らしさ」を政治決定に活かすためだとか解説されます。
もしも「女性らしさ」を語ること自体が差別的なのなら、これらの活動自体が差別的ということになってしまうわけです。
もちろん、五輪の会議メンバーに女性を増やせというのも、「女性らしさ」を批判的にみるならば、矛盾してきます。
もっというなら、女性らしさを売りにした競技・・・フィギュアスケート(※1)みたいなもんは無くすべきですし
もっともっといえば、女性も男性と性差なく、混合競技で戦うべきでしょう。
本当に女性を差別するなというなら、そこまでするしかありません。
※1 フィギュアスケートは極めて女性らしさを売りにした競技だと思います。オマタは薄布一枚で、おっぴろげて審査員にみせつけます。これを男がやったら減点なんじゃありませんか?男が薄布一枚の股間を審査員にみせつける!もしそんなことをしたら、ソッチ系の方以外はめっちゃ減点するはずです!まちがいない!
森元首相の発言全文が女性差別だと叩かれている本当の理由は?
森元首相が女性らしさについて語ったことが差別だと叩かれています。
でも、上記の通り「女性らしさ」を語ること自体は、差別的ではないはずです。
ではなぜ森元首相が女性差別的だと批判されるのか?
それはたぶん、「女性らしさ」として「長話」や「競争意識が高い」を関連付けたからだと思います。
これにカチンとくる女が多かった。
それでしょう、たぶん。
でも、実際のところ、女性って長話しませんか?
放課後のjkがマクドでキャッキャウフフとするような、大阪のおばちゃんが電車内で世間話するような、そんな雰囲気。
いいじゃないですか、それで。
競争意識が高いことも、悪いことですか?
元気があってよろしいじゃありませんか。
子供を眺めるように、生暖かく眺めていたらいいんですよ。
ほんわかした気分になるでしょう?
長話や競争意識をネガティブに捉えるから、それらと女性らしさを関連付けることを差別に感じるのです。
そもそも長話や競争意識をポジティブに考えれば、女性らしさは素晴らしいものだと定義されることになります。
本当に多様性を重視するのなら、長話をする人や、競争意識が高い人を否定的にみるのもやめたらいいんです。
それらすべてをまとめて、真の多様性なはずです。
森元首相の発言を差別的だと批判している人々は、己の中にある差別意識を自覚できていないのだと思います。
お疲れ様です。