少子高齢化対策のために、公的医療介護を削減すべきではないか
高福祉社会で進む少子高齢化問題
世界中の多くの先進国で、少子高齢化が進んでいます。
先進国の中でも一部では少子化が止まったようにみえますが(北欧諸国やフランスなど)、
それらの国では移民がたくさんの子供を産んでいたり(フランス)、
一次エネルギーの自給率が高く財政的にも余裕があるなど(ノルウェー)
それぞれ、日本とは大きく前提条件が異なる国となっています。
そうした中、日本はどのような少子高齢化対策の道があるのかを探る動きは多方面から語られています。
やれ社会福祉予算を増やせばいいだとか
女性の社会参画を増やせばいいだとか
いろいろと語られていますが、どれも決め手に欠けるのが実情だと思います。
そこで、個人的な提言を放言させていただきたいと思います。
少子高齢化対策に、社会保障費の大幅な削減、とりわけ介護・医療への予算削減が効果的ではないか
というものです。
たぶん、こんなことを言ってる奴はそういないように思います。
じつは、自分は学生の頃からこの主張をしているのですが、誰も話を真面目に聞いてくれません。
だから、今回もきっと鼻で笑われて終わりだと思います。
でも敢えていいたい。
居酒屋のオッサンの酔いどれ話的に聞いてほしいなぁと思って書いています。
老後の社会保障を国に頼る姿勢こそが、少子化の原因であり、教育・躾への熱意に欠けた家庭の増加に繋がっているのではないか
自分はそう考えています。
昔は、老後の面倒をみてくれるのは自分の子供しかいませんでした。
だから、結婚をして、子供を産んで、その子供をしっかり育てあげて、立派な人物にすることは、ある意味で自分の老後のためという面もありました。
しかし現代では、社会保障は国に頼ればいいと、多くの国民が考えています。
自分達は税金を払っているのだから、社会保障を受けるだけの権利があるはずだと、思い込んでいます。※1
子供を産み育てるのは、あくまでも趣味みたいなものという扱いになっています。
人によっては、ペット扱いみたいな感じで子供を見ている親も多いのではないでしょうか。
(子供の人格を無視して写真をパシャパシャ撮ってブログなどに載せている人をみると吐き気がします。)
投資として子供を育てる、、、そういう意識がなくなったことが、少子化・家庭教育の劣化の背景にあるとみています。
※1・・・でも実際は、行政コストを国民一人当たりの負担にならしてみれば、ほとんどの国民は行政コスト(社会保障費も含む)を賄うだけの負担をしていないことは明らかなのですが・・・このあたりには、認識のギャップがあります。
少子高齢化対策のためには、子育て支援だけでなく、高齢者福祉予算削減も必要
最近、少子高齢化対策のために、子育て世代への支援拡充を訴える政治の動きが出ています。
それはそれでいいと思います。
でも、反対の高齢化対策はぜんぜん進んでいません。
高齢化対策には何が必要かといえば、高齢者向けの福祉予算をカットして、高齢者を削減すること以外ないのではないでしょうか。
思うに、長生きすることを当然の権利であるかのように主張することがおかしいと思います。
長生き・長寿は古来、多くの人が望んできたポジティブな要素だったはずです。
長生きしたいのなら、自分でしっかりカネ稼いで、しっかり面倒をみてくれる子供を育てて、しっかりと準備したらいいんです。
それをせずに、国が用意した(破綻するかもしれない)社会保障にどっぷり頼ろうというのが、そもそもの間違いのように思います。
憲法25条をあまりにもアテにしすぎているように思います。
不安定な足場に縋って生きるような生き方は、動物としての本能から逸脱しているようにみえます。
思うに、およそ現代社会においては自主自立などということは不可能なことは確かです。
治安・災害対策・安全保障から何から何まで、あらゆる場面において、国家の保護は必要です。
それはそうとしても、現代社会の人々は、いくらなんでも国家に頼りすぎじゃないかと思います。
もっと、自分でできることはしっかりやって、できない範囲は諦める。
あぁ、自分はこの程度しかやれなかったから、早く死んでもしかたないなぁ・・・
そんなふうに諦めることが必要なんじゃないかと思います。
むかし、「貧乏人は麦を食え」と言って非難を浴びた首相がいましたが
現代においては、「貧乏人は早く死ね」と言ってのける首相も必要なのではないかと、個人的には思っています。
ありえない夢を提示するよりも、現実をしっかり見せることは重要だと思います。
以上。