モノ消費だけでなく、コト消費もする必要に迫られる都会の人々
東京に引っ越してきた。
現代の都会では、モノだけ持っていても、豊かにはみられない。
コトにカネをかけないでいると、貧しい人とみられてしまう。
多くの人が、そう恐れているように見える。
端的に言えば、都会の人々は承認欲求や同調思考のために、無意識にコト消費にいそしんでいるようにみえる。
何か趣味を持っていないといけないと思って、大して好きでもない曲を聞いたり、味がわかりもしないのに行列店めぐりしたり、美術館巡りしている・・・のではないか、と思う。
別にそれは悪いことでも何でもなくて、それが人間の性質だろうと思う。
重要なのは、人々の財布の中身は限られているということ。
コト消費をするぶん、モノ消費へ利用されるカネは減る。
そんななかで、こだわりのないモノを売っている店は落ちぶれる。
こだわりのないモノというのがわかりにくいけれど、マス化されたものと言い換えればいいかもしれない。
大衆的なものや、それを売るメディア。
都会ではマスメディアはほとんど用済みだ。
グルメ情報だって、テレビで紹介された店なんて評価されない。
「どうせ広告費にカネかけただけでしょ」と見透かされる。
そんな店を巡っていたら、陰で馬鹿にされるのが都会の文化だ。
あいつは味のわからない阿呆だよ、と。
田舎ではまだまだ既存メディアが影響力を持つけれど、それもどうなることやら。
個人的に、コト消費が本格的に進めば、電通はオワコンだと思っている。
まとまりが悪いけれど、以上。