【統計】イランの一人あたりGDP【グラフ】

【統計】イランの一人あたりGDP【グラフ】

 

イランの一人あたりGDP

イランの一人あたり1970年以降、急激に上昇します。

この背景には、オイルショックによる原油価格高騰による国営石油会社からの収入が上昇したこと。

また、CIAとモサドによって打ち立てられた傀儡モハンマド・レザー・パフラヴィー国王による統治が、欧米との関係構築に一定の意味を持ったことが要因としてあげられます。

 

しかし、傀儡国家は傀儡国家にすぎません。

1979年、イラン・イスラーム革命の勃発によりパフラヴィー朝は崩壊します。

アヤトラー・ホメイニ師の下でイスラム共和制国家を樹立する動きとなり、これにアメリカは強く警戒。

イランはパフレヴィー朝の資産がイラン国民から搾取されたものであるとしてイラン国庫への返還をアメリカに求めます(と同時に国王の身柄引き渡しも要求します)が、時のカーター大統領がこれを拒否。

イランの革命分子はこれに抗議して在イラン大使館を占拠します。

 

1980年、アメリカはイランとの国交を断絶、経済制裁を課します。

また、隣国のイラクのサダム・フセインに肩入れし、アルジェ合意を破棄させてイランに攻め込ませます。

これがイラン・イラク戦争の始まりです。

この戦争は1988年まで続きました。

(今に至る問題のすべては、全部アメリカの強欲な連中のせいだと自分は思います。)

 

 

 

その後、戦後復興でイランの経済はまた華々しく回復するのですが、この経済成長を警戒したアメリカが今度はイランの推し進める核開発を理由に制裁措置を発動。

イラン経済は大きな影響を受けることになっています。

いま、アメリカはサウジの王室に肩入れして、好戦的なサウジのムハンマド皇太子に兵器を大量に売りつけて、イランに攻め込ませようとしているかのようです。

まるで、アメリカがイラクのサダム・フセインに肩入れしていた時代とやってることが変わらないように感じるのは、自分だけでしょうか?