森村グループの沿革はスピンアウトの連続だった~昔の日本企業は極めて合理的だった件~

森村グループの沿革はスピンアウトの連続だった~昔の日本企業は極めて合理的だった件~

 

森村グループの沿革はスピンアウトの歴史

TOTO、日本ガイシ、日本特殊陶業、ノリタケ・カンパニーリミテッド、森村商事、大倉陶園・・・これらセラミック技術で名を馳せる企業は、もともとすべて同じ企業、森村組でした。

もともとは1876年に設立された森村組が母体です。

その後・・・

ノリタケの前身である日本陶器は森村組からスピンアウトし(1904年)

TOTOの前身である東洋陶器は日本陶器からスピンアウトし(1917年)

日本ガイシはTOTOからスピンアウトし(1919年)

日本特殊陶業は日本ガイシからスピンアウトしました。(1936年)

そして残った森村組は、森村商事となりました。

https://twitter.com/chu_sotu/status/1110296110319321088

 

 

森村グループが採った一業一社の精神によるスピンアウト政策は極めて合理的

現在の日本ではほとんど行われなくなったスピンアウトですが、戦前の日本では森村グループに限らず、しょっちゅう行われていました。

日本の資本市場はもっとダイナミズムがあり、TOBなどもしょっちゅう行われ、M&Aも活発で、スピンアウトも活発で、今よりもっとアクティビストが闊歩していたのが昔の日本のようです。

ここらへんは、昔の雑誌などを図書館で当たってみてもわかりますし、何でしたら日銀の原田泰さんがいろいろと書かれてますので、そうしたものをご覧になっていただいても良いと思います。


テラスで読む戦後トピック経済史

 

こうした動きは戦後も続き、1970年代あたりまでは資本市場のダイナミズムがあったそうです。

しかし、これが1970年代に潰れていった。

自分はその背景に、通産省による産業界の護送船団方式導入と、アクティビストの排除方針があっと思っています。

これについては書き出すと長くなるので他の機会に回しますが、とりあえず、昔の日本企業は、今のアメリカと同じように積極的にイノベーションと資本効率を求めていっていました。

一言で言えば、もっと効率の追求に貪欲でした。

 

 

森村グループ各企業はスピンアウト・分社化を行わなくなった・・・

近年、森村グループ各企業は、まったく分社化を行わなくなりました。

他社を買収することはあっても、自分達の事業を切り出すことはなくなりました。

こうした動きは日本企業全般に言えることですが、森村グループもまた、そうした非効率な経営を行う企業が増えてきています。

日本特殊陶業にしても日本ガイシにしてもノリタケにしてもTOTOにしても、各企業それぞれ色々と多角化を進めています。

たとえば日本ガイシは電力碍子以外にNAS電池やら半導体製造装置用の静電チャック、リチウムイオン電池製造用のヒーター、圧電アクチュエータ、セラミックパッケージ、DPF、GPFなどなど・・・

はたしてどれだけその事業間に関連性があるのかないのか、よくわからないものをたくさんやっています。

そして、赤字の事業もまったく気にせず温存して、無駄に人員と設備を抱え込んでいます。

果たしてこれは、かつての森村グループの形なのでしょうか。

かつての日本企業の経営だったのでしょうか?

 

森村グループ各企業にいま必要なのは徹底した分社化・スピンアウトなのではないか

森村グループにいま必要なのは、徹底した分社化だと思います。

日本碍子であれば、赤字を垂れ流している電力向け事業の分社化、売却などが抜本的な対策でしょう。

とりあえず、事業の集中と選択を行わないのは株主に対して背信的であると思います。

従業員はあくまでも必要なだけ雇い、あとはちゃんと解雇して別の企業、別の産業に移動させていく…

人不足の日本社会に一番必要なことはそうやって生産性を上げていくことのはずです。

 

日本企業は過去の成功体験を思い出したらいいと思います。

その成功体験というのは、1980年代以降のアダ花が咲いた生産性低下局面でなく、1960年代までの徹底した合理主義が支配する時代の成長体験です。

労使が殺伐と敵対しあった時代、あの頃に戻るべきと自分は考えます。

とりあえず、森村グループの沿革は、そうした歴史を思い起こさせてくれる、十分な資料だと思います。

以上です。