渋沢栄一の子供は少なくとも12人、子孫は渋沢同族会を作って非嫡出子と差別化
新一万円札の顔となることが決まった渋沢栄一は子供がたくさん
渋沢栄一は正妻こそ生涯2人だけでしたが、正式に妾さんとして囲っていた女性の他にも大量の愛人がいたとされています。
このため、正妻と妾の子と養子をあわせて12人が正式な子供としてカウントされていますが
その他にも50人とも100人ともいわれる子供がいたとされ、その多くは戸籍にも載らずに、存在が消されてしまった方たちとなっています。
渋沢栄一は68歳のときに妾に子供を産ませているが・・・
渋沢栄一といえば、日本資本主義の父とも呼ばれ、会社を大量に作って稼ぎまくった経済界の重鎮として有名です。
ですが、作ったのは子会社だけではありません。
子供も大量に作ったことが知られています。
その活動は老いてもなお盛んであり、68歳のときに最後の子供を作ったことが記録されています。
ただし、この記録はあくまでも妾による嫡出子。
実は、渋沢栄一には大量の非嫡出子がいるとされ、それらの人の中には渋沢栄一80代の時の子供もいるのだとか。
なかには財産狙いでそういう主張をしている人もいたのかもしれませんが、それにしても凄いですね。
これだけの女を養い、子供を養い、ひたすら子作りに勤しんだ人生。
素晴らしいバイタリティです。
渋沢栄一の正式な子孫たちは渋沢同族会なるものを作った
なお、渋沢栄一の子供たちのうち、相続権のあるのは嫡出子の11人と養子1人ですが、養子はいろいろあって自害してしまいます。
とりあえずこの11人、渋沢栄一の莫大な財産を受け継ぐのですが、他の愛人の子供たちと自分たちを隔てて財産の管理と方針の決定をするためにか、渋沢同族会なるものをつくります。
同族会と言いながら愛人の子供たちを同族には入れないということは、同族とは思っていないということでしょうか。
まぁ、思っていないということでしょう。
なかなか刺激的な名称ですが、実際にそういう名前の団体となっています。
渋沢栄一を一万円札にするということは、妾制度の復活を目指す流れか?~天皇制男子継承をつづけるため?
これは邪推かもしれませんが、渋沢栄一を一万円札の顔にするということは、国民にたいして一夫多妻制や妾への抵抗感をなくすことが目的なのではないか、という感じがしています。
渋沢栄一といえば、妻妾同居を実現した方です。
正妻から二号、三号さんまで一緒の家にいるという状態です。
当時はそういう金持ちが多かったのですが、渋沢栄一はそれを大蔵卿になってからも続けます。
すごい甲斐性ですね。
こういったことは何も民間人だけがやっていたことではありません。
そう、天皇家も大量の側室を囲っていたのです。
万世一系なんていいますが、その実は妾腹(側室腹)を経由したものです。
(もっというと、そもそも万世一系ではなく、南朝北朝に分岐したり入れ替わったりもしているんですが・・・)
明治天皇の場合、正妻に全く子供が生まれませんでした。
生まれる気配すらなかったといいます。
そこで5人の側室があてがわれます。
年齢は13歳~19歳です。
めっちゃろ・・・(禁句)
この妾さんのうちの一人が、大正天皇を生みます。
この側室制度、大正天皇に男子の子供が4人生まれたため事実上廃止され、昭和天皇も行いませんでしたが、男子の血を絶やさないためには以前は行われてきたことでした。
現代の天皇家でも、男子継承問題はたびたび持ち上がります。
一応、秋篠宮に一人いますが、それが今後何人男子を作れるのかはわかりません
また、そのまた次の世代が・・・と考えていった場合、やはりずっと正妻だけの一夫一婦制で男系継承を続けるには無理があります。
このことから、そろそろ側室制度を復活させるための地ならしを考え始めたのではないか・・・という感じがしています。
そのための渋沢栄一の登場なのではないかと。
とりあえず、最後は邪推の域を出ませんが、可能性はあるのではないか、と思っています。
以上です。