「桜を見る会」問題を見てみぬふりする国民性

「桜を見る会」問題を見てみぬふりする国民性

 

「桜を見る会」における最大の問題点は…

毎年、政府主催で行われる「桜を見る会」

これが安倍首相および政府自民党の人気取りに使われているのではないか?との疑惑が浮上しています。

 

「自民党後援者にばかり参加チケットが配られている」だとか

「安倍政権に変わってから桜を見る会に関する政府支出が予算をオーバーして大きく伸びている」だとか

「前夜祭で振る舞われる食事と会場費用が参加費で賄えるわけがない」だとか、いろいろと言われています。

 

今回は、桜を見る会に関する各内容については報道に任せて、個人的にこの件から受けた印象について書いていきたいと思います。

 

 

安倍首相の暴走を見てみぬふりする国民

今回の件で自分が問題だと思ったのは、政府および安倍首相の行動というよりも、その行動を非難しない人々の存在です。

 

安倍首相と自民党の暴走は、今に始まった話ではありません。

森友問題もあったし、加計学園問題もあった。

しかしそのたびに、「安倍首相は景気をよくしてくれたから・・・」「民主党政権よりはマシ」みたいな感じで世論は全然動かない。

 

明らかに、一連の問題は民主主義の根幹を揺るがす大問題です。

端的に言えば、札束と縁で政治を行うことの問題です。

 

にもかかわらず

「そんな些末な問題はおいといて経済対策しろ」

などという連中がいます。

「政治は経済をよくすることが重要だ」

「もっとカネ稼がせろ」

と。

 

個人的に、こういう連中は家畜だと思っています。

経済対策などというのは、どうだっていいです。

自分が山師稼業だからというのもありますが、政治がどうあれしっかり稼いでいくのが男だと思っています。

「稼がせてくれるから良い人」というのは、

「チョコをくれる米兵は良い人」というのとなんら変わりません。

精神的に奴隷でしょう。

自分の子供のころはバブル経済でしたが、当時は政治に経済対策を求める声は少なかったように思います。

貧すれば鈍すということでしょうか。

情けないです。

 

特に今回は、twitterの株クラ連中がこぞって安倍首相を擁護するような発言をしたり、政治を見てみぬふりしていたりして、本当にどうしたものかと思いました。

投資家ならどんな相場でも稼げばいいのであり、政治に期待するのはおかしいと思います。

 

 

原理主義政党こそが政治の本筋

個人的に、政治に対してカネを求めるのは本来の政治の在り方と異なると思っています。

カネなんざ各人で勝手に稼げばいいんです。

政治に期待するのは弱弱しくて嫌です。

 

個人的には、政治はもっとイデオロギー、思想、モラルなどを問うべきで、カネのことは二の次で良いと思っています。

そういう意味で、自然保護を頑なに訴える緑の党とか、イスラム原理主義政党、キリスト教右派みたいなのは、とても良い政党だと自分は思っています。

もちろんそういった政党を支持するというわけではなく、政治の在り方として良い、と思っているというだけですが。

 

なんというか、政治に打算的なものを求めることと、宗教に現世利益を求めることは、似ているとも感じます。

これが東アジアの限界なのか、とも感じます。

とりあえず、とりとめもありませんが、そんなことを考えています。

以上。