【私見】「ゲーム障害」は果たして病気なのか?~人類の発展はいつだってガチ勢によって作られてきた~
世界保健機関WHO、「ゲーム障害」を精神神経系の病気として定義
今日の日経新聞の記事に以下のような記事が載っていました。
ゲーム障害は「病気」 依存症で生活に支障、WHOが位置づけ 「根拠が不十分」業界反論
要点は以下のようなものです。
- WHOは新しい国際疾病分類ICD-11に、「ギャンブル障害」と並ぶ形で「ゲーム障害」を追加
- ゲームをする時間や頻度を制御できない、ゲームが他の関心事や行動に優先する、問題が起きても続ける、個人、家庭、学業、仕事などに重大な支障が出ている・・・が要点
- ICD-11にゲーム障害を含めるよう初めて提案した久里浜医療センターの樋口進院長によると、「ゲームが他の関心事や行動に優先する」という点が特に重要。
- 機能的MRI(fMRI)で血流変化を検査すると、情動の抑制を司る前頭前野が、ゲームをすると機能低下するとの研究もあるとのこと
以下私見
ゲームばかりすることが「ゲーム障害」という病気なら、スポーツばかりすることも「スポーツ障害」だし、勉強ばかりすることも「勉強障害」だし、読書ばかりすることも「読書障害」じゃないのか?
まったく無茶苦茶な病気の定義の仕方だと思います。
久里浜医療センターの樋口進院長が問題視している
「ゲームが他の関心事や行動に優先する」
というのは、集中すれば誰だってあることです。
たぶんそれは、一定以上の水準の職業人なら誰でも理解できるはずです。
本気で勉強したり、本気でトレーニングしたり、本気でゲームしたりしていれば、時間も生理的欲求もすべて忘れて没頭するのは当然です。
いわゆるガチ勢ってやつです。
そういった特化した人々によって人類は今まで信じられないような発展を遂げてきたのであり、それらを病気扱いするというのは「普通の生活」の押し付けによって人類の未来を閉ざす行為だと思います。
かなり反動的であり、極めて危険な思想だと思います。
ゲームしたければゲームさせたらいいですし、
スポーツしたければスポーツさせたらいい、
勉強したければ勉強したらいいんです。
それらは個人の自由。
結果は自分で責任をとればいいことでしょう。
それを病名をつけることで縛ることが、好ましいことであるとは全く思えません。
「ゲーム障害」という病名をつけることによっておきる問題
また、ゲーム障害という病名をつけることによって、その後におきるであろう問題にも配慮が必要だと思います。
まず、病気と定義することで、病気でも何でもない単なるゲーム好きが病人扱いされ、差別的に扱われる可能性が出てきます。
また、「ゲーム障害」という病名で定義することは、新たな規制や法律の制定を促し、自由な発想や行動を制限することにもつながります。
中国のようにゲームする時間を制限させたり、ゲーム会社のビジネスを制限したりするかもしれません。
(たとえば、肥満問題を理由に砂糖税をかけたりするのと同じように、ゲーム税を導入する可能性もありえます)
それが果たして人類の発展にとって好ましいことなのかどうか、今一度よく考えてみる必要があるはずです。
fMRI (functional magnetic resonance imaging)によるゲーム障害の認定は果たして妥当か?
たしかに、ゲームをしまくれば脳内の血流に変化は起きるでしょう。その研究結果は問題ないと思います。
ただ、「一般人と違っている血流=障害」と直ちに言えるわけではないはず。
例えばいっぱい勉強すれば一般人とは異なった脳の活動になるでしょうが、それをもって障害とは普通言わないはずですし、イチローが飛んできた打球をキャッチし、状況把握して返球するとき、きっと脳内は一般人とは全然違った血流を示すでしょうが、それを以て障害とは普通いわないでしょう。
「ゲーム障害」は病気でも何でもない、多様性の一部である
現代社会は、簡単に何でもかんでも障害と言いたがりすぎるように感じます。
個人的には、障害というのは多様性の一部であると思います。
その多様性を許容して人類の発展のために使うか、それとも一般からズレているから矯正しようとするか。
そこらへんのイデオロギーの違いが、今回のゲーム障害議論には表れていると思います。
タイガーウッズだって、セックス依存症と診断されなければ、今も現役で偉大な成績を出していたかもしれないのです。
好きなように種まきさせてやったらよかった。
クリロナをみてください。
彼も相当やりまくって、あちこちに種をばら撒いてますが、偉大な遺伝子がばら撒かれて、むしろ人類の発展にとっては好ましいことであるはずです。
安易に病名をつけるのではなく、個性を尊重して、自由を認めたらいいと思います。
以上です。